いつもの定食屋で、僕は「正義」を失った。
焼き魚の香り、静かなカウンター席、そして誤ってやってきた納豆。
本来なら、そこで一言声をかければよかった——。
しかし、僕はその勇気を持てなかった。
第一節 隣の“文武両道”

仕事の休憩時間、いつもの定食屋さんに食べに行った。
この店は焼き魚の定食を売りにしているチェーン店で、さんま、ほっけ、さば、時期によっては銀だらまでそろっている。
入り口の引き戸は少し重たく、開けるとカランと鳴る小さな鈴の音とともに、魚の脂がはぜる香りが鼻腔をくすぐる。厨房からは煙が立ちのぼり、その奥で金属同士がカチンと当たる乾いた音が響く。
僕がここに通うようになったのは、半年ほど前。仕事場から歩いて3分、安定して旨い魚が出てくる数少ない店だったからだ。
しかも、料理をしているのはほぼ全員がベトナム人女性。黒髪をキャップに収め、無駄のない動きで皿を並べる。火加減も絶妙で、皮はパリッと、身はふっくら。僕がこれまで食べてきた焼き魚の中でも、上位に入る完成度だった。
日本語が通じるスタッフはほぼおらず、注文はタブレット、会計は自動精算。モニター越しの無機質な音声が「ご注文ありがとうございました」と告げるだけで、人間の声はほとんど介在しない。
席はカウンターのみでL字に10席ほど。一人客ばかりで、店内は基本的に静まり返っている。
ただし、厨房からときおり聞こえてくるベトナム語だけが、この空間に生命感を与えている。僕は意味を知らないその音を、勝手に翻訳して楽しんでいた。
「このさんまは形がいいね」
「ほっけの焼き加減、完璧」
——たぶん本当は全然違う内容なんだろうけど、僕にとってはそれで十分だった。
その日も暖簾をくぐり、空いた席に向かおうとしたとき——目が止まった。
カウンターの一角に、ガタイのいいコワモテの男性が座っていた。肩幅はドアの幅と同じくらいありそうで、上腕はまるで縄のように盛り上がっている。その太い腕の先にある手には、小さすぎるビジネス書。
「その体で、その本?」と心の中で呟く。まるでプロレスラーが詩集を読んでいるような、妙なギャップだった。
好きな子に彼氏ができて、その彼氏がめちゃくちゃ“いいやつ”。奪いたい気持ちはあっても、人間性ができすぎていて何も言えない——そんな尊敬と嫉妬のミックスジュースを、僕はこの見知らぬ男性に感じた。
そして運悪く、案内された席はその男性の隣。
一瞬だけ席を変えてもらおうかと思ったが、やめた。
「せっかくだし、何か学べることがあるかもしれない」——そんな曖昧な理由を自分に与え、タブレットを操作して、いつものさんま定食を注文した。
第二節 同時到着、そして違和感

しばらくして、厨房から小気味よい足音とともに、料理が運ばれてきた。
隣の男性にはほっけ定食、僕にはさんま定食——のはずだった。
だが、僕のトレイには見覚えのない小鉢と、山のように盛られた白米があった。
納豆。しかも、ご飯は明らかに大盛りだ。
僕はトッピングも大盛りも頼んでいない。
「サービスかな?」と一瞬思ったが、この店でそんな粋な計らいを受けたことは一度もない。
視線を店員さんに向けたときには、もう背中しか見えなかった。
タブレットの履歴を確認してみる。注文したのは確かにさんま定食のみ。
「じゃあ何だ?」と思った瞬間、視界の端に動きが入った。
隣の男性も、同じようにパネルをのぞき込んでいたのだ。
第三節 疑惑と誘惑

パネルをのぞく僕。
同じタイミングでパネルをのぞく彼。
目は合わない。だが、その仕草が妙にシンクロしている。
湯気のような疑惑が、じわじわと広がる。
「もしかしてこれ、あの人の……?」
でも魚は合っているし、他はちゃんとさんま定食だ。確信までは持てない。
小さな天使と悪魔が、肩の上で会議を始める。
天使「今のうちに声かけなさい。後で気まずくなるよ」
悪魔「魚は合ってるし、納豆くらい食べてもバレないって」
天使「でも、もしあの人のだったら?」
悪魔「そのときは“知らなかった”って言えばいい」
僕は議論を打ち切り、箸を手に取った。
まさか、このあと隣の男性が納豆を注文するとは、このときは思いもしなかった。
第四節 二つの納豆

「ちょ、大盛りと納豆ちょうだい。」
ぶっきらぼうだけど、礼儀を欠かない声が、隣から飛ぶ。
厨房の奥で金属の触れ合う音が響き、換気扇がわずかに唸りを強める。
数十秒後、店員さんが新しい納豆と大盛りご飯を隣の男性の前に置いた。
僕は自分の納豆を食べながら、その様子を横目で見ていた。
僕の前にも納豆。隣の彼の前にも納豆。
カウンターの上に、同じ小鉢が二つ並んだ。兄弟のように似ているが、互いの存在を認めていない——そんな距離感。
去り際、店員さんが一瞬こちらを見た。
その目が言っていた気がする——
「アンタ、これ頼んでないの知ってたよな? とぼけて食べてるよな? ……万引犯め」
同じ瞬間、隣の男性も視線を向けてきた。
二方向からの“疑いの視線”が、体の芯を貫く。
納豆の糸が、罪悪感ごと喉に絡みつく。
飲み込むたびに、心まで重くなる。
第五節 四方八方に迷惑

店員さんには、不要な仕事を増やしてしまった。
隣の男性には「コイツ、気づいてて食ってるだろ」という疑念を与えてしまった。
納豆からすれば、「頼まれてもないのに食べられた」被害者だし、ご飯に至っては「本来なら並盛りで終わる命」が余計に削られた。
炊飯器の奥で、白い粒たちがすすり泣く声がした——ような気がした。
僕は味のしない定食をかきこみ、できるだけ音を立てずに箸を置いた。
水を一口だけ飲み、静かに席を立つ。
背後からベトナム語が聞こえるが、その意味はもう想像できなかった。
第六節 テレビの“正義”

その夜。
仕事を終え、自宅で夕飯を食べながらテレビをつけた。
画面では、心理テストが紹介されていた。
「学校の廊下に小学生の習字が張り出されています。そのうちの1枚が目に留まりました。何と書いてありましたか?」
僕は即答した。「正義」。
子どもでも知っている言葉なのに、大人でも説明が難しい。だから目に留まる。
司会者が言う。「それは、あなたが最近失ったものです」
……正義を失った?
だから僕は、定食屋で本当のことを言えなかったのか。
テレビから流れた一言が、思わぬ角度から僕の鳩尾を突いた。
第七節 過去の“言えなかった”事件

思えば、僕は昔からこういう場面に弱かった。
高校時代、購買でパンを買ったときのことだ。
僕が手に取ったのはカレーパン1つだけだったのに、会計のとき、レジの先生が間違えて2個袋に入れてしまった。
気づいたのは教室に戻ってから。
「言いに行こう」と一瞬思ったが、戻るには昼休みを全部潰すことになる。
「まあ……いいか」とカレーパンを食べた。
甘いわけでもないのに、妙に後味が悪かったのを覚えている。
大学生のときも似たことがあった。コンビニでホットコーヒーを買ったとき、サイズを間違えてLのカップが渡された。レジのバイトが新人らしく、テンパっていたのもあって、僕は何も言わずに受け取った。
熱々のコーヒーをすすりながら、「これが自分の器以上のサイズってやつか」とか意味のない言い訳を考えていた。
——そうだ、あのときも“正義”はなかった。
僕はずっと、少しの勇気が出せずに、見ないふりをしてきたのだ。
第八節 明日からの持ち物

二度と、あんな気まずさは味わいたくない。
明日からは、胸に正義を持って生きていこうと思う。
……ところで、正義って、何だっけ?
【あとがき】
あの時、僕がほんの一言「それ、僕のじゃないですよ」と言っていれば、何か変わっていただろうか。
——いや、現実的にはほとんど変わらないだろう。厨房の忙しさも、他のお客さんの空腹も、きっとそのままだ。
でも、少なくとも僕の中の「正義の残高」は、もう少し潤っていたはずだ。
日常には、小さな“正義ポイント”を加算できる瞬間が、意外と転がっている。
電車で席を譲るとか、落とし物を拾うとか、スーパーで列を間違えたおじいちゃんに教えてあげるとか。
そのどれも、別にやらなくても生きていけるし、やらなかったからといってすぐに罰が下るわけでもない。
でも、やらなかった自分は確かにそこに残り続ける。
今回の僕がそうだったように。
しかも困ったことに、この“未遂の正義”は、時間が経つほどにじわじわ効いてくる。
食後のコーヒーを飲んでいる時、帰り道、信号待ちのタイミング……
「いや、あれは声かけてもよかったよな」と、頭の片隅からぬっと顔を出す。
そのたびに、僕の中の小さな法廷がざわつくのだ。
判事(理性)は「次は気をつけなさい」と優しく諭すけれど、検察(良心)は「いや、あれは有罪だろ」と厳しい。
そして弁護人(言い訳)は「まあまあ、あの場は空気があったし…」と、どうにかして無罪にしようとする。
結局この三者は延々と口論し続け、僕は一生、あのカウンター席で正義を失ったまま生きていくことになる。
——次こそは。
そう思いながら、僕は今日も焼き魚を食べに行く。
だけど、もしまた同じ状況が起きたら……やっぱり「まあまあ、空気があるしな」と、弁護人が勝ってしまう気がしてならない。
【読んでくれたあなたに、最後の質問】
もしあなたが僕の立場だったら、
「間違えてますよ」と声をかけただろうか?
それとも、静かに箸を動かし続けただろうか?
そして、その答えを、何年後も胸を張って思い出せるだろうか?
【エンディング】
気づけばまた、どうでもいいことを真面目に書いてしまった。
たぶんこれが癖なんだと思う。
どうってことのない出来事に、少しばかり言葉を与えて、それっぽく整えてみる。
それによって何かが変わるわけでもないし、誰かの役に立つわけでもないかもしれない。
でもまあ、それでいいのだと思っている。
人に話すほどじゃないけど、なんとなく心に残っていることって、誰にでもあると思う。
口に出すには気恥ずかしいし、わざわざ言うほどのことでもない。
でも、なぜか自分の中ではしつこく残っていたりする。
そういう小さな違和感や、おかしな風景や、自分でもうまく説明できない気持ちを、
ブログという形にして、そっと置いておくのが、僕なりの保存方法なんだと思う。
それは、日記とも少し違う。
自分のために書いているようで、どこかに誰かの気配をうっすらと意識していたりもする。
かといって、「読まれたい」と強く思っているわけでもない。
伝えたいのか、ただ置きたいだけなのか、自分でもよくわからないまま書いている。
でも、その曖昧さごと残しておけるのが、ブログの良さなのかもしれない。
読み返してみると、「なんでこんなこと書いたんだっけ?」と自分でも首をひねることがある。
あの時の自分が、どこに向かって書いていたのか、正直わからないこともある。
けれど、どれもその瞬間の自分には、それなりの必然があったんだと思う。
意味のないことを真面目に綴ることでしか、気づけないこともある。
それに、そういう行為だけが拾い上げられる感情も、たしかにある気がする。
そう信じて、今日もキーボードを叩いている。
そもそも、“書く”という行為そのものが、
なにかを整理するためではなく、かき混ぜるためにあるような気がしている。
思い出したくないことがふいに浮かんできたり、
忘れたと思っていた感情に形が与えられてしまったりする。
そういう厄介さも込みで、言葉って面白い。
この文章にも、特にオチはない。
ただ、もし読んでくれた人の中に、何かちょっとだけ引っかかるものがあったなら、それはとても嬉しい。
共感じゃなくていい。納得もしなくていい。
ただ、「なんかわかる気がする」と思ってもらえたなら、それだけで充分だ。
うまく言葉にできない気持ちに、ほんの少し形を与えておくことで、
どこかに浮かんでいた感情が、ふっと着地することもあるかもしれない。
誰にも見られないまま終わる記事があってもいいし、
あとで読み返して「なんだこれ」となる日が来ても、それはそれで悪くない。
すぐ忘れてしまうような話でも、ちゃんと書いておくことで、
たとえ一瞬でも自分の中にあった、という証明にはなるから。
というわけで、この話もそろそろ終わり。
たいしたことは言ってないけど、たいしたことじゃないことを、ちゃんと書いておくのが好きなのだ。
また次回、似たようでちょっとだけ違う話を、きっと書くと思う。
そのときも、なんとなく読みに来てもらえたら、それはもう、とても光栄なことである。

