レジ前のスロットマシン──僕だけ負け続ける日常ギャンブル

日常と気づき

レジに並ぶ。
ただそれだけのはずなのに、僕の脳内ではなぜか勝負の音が鳴り響く。
スーパーのあの狭い通路が、急に“カジノのホール”めいた緊張感を帯びるのだ。
どの列に並ぶか、その選択ひとつで人生の幸福度すら変わってしまう気がしてくる。
誰もそんなこと言っていないのに、僕だけが勝手にレバーを握っている。

第1節 僕はギャンブルをしない

突然だが、僕はギャンブルはしたことがない。
パチンコや、カジノなど人生で一度も手をつけたことがない。

理由は簡単。負けるのが怖いからだ。
聞いた話によると、終わりどころを見失い、有り金全部使い切ってしまう人もいるらしい。

ある程度自制できる人なら、節度を持って楽しめるんだと思う。
ただ、僕にそんな精神力はない。

なぜなら、日常に潜むギャンブルに負け続けているからだ。

第2節 日常に潜むスロットマシン

スーパーで買い物をしている時のことだ。

重い買い物かごを持って、レジに並ぼうとした時スロットは回り始める。

ガラガラガラ…という音が頭の中で回る。


3台あるレジ機には、それぞれ長蛇の列ができていた。
さて、どのレジに並べばいいのだろうか。。。

右端のレジには、新人バッチをつけた高校生くらいのアルバイト。
中央のレジには、3~40代の主婦。手際よく回している。
左端のレジには、60~70代の白髪の男性。耳が遠いのか、お客さんとコミュニケーションを取るのに苦戦していた。

三者三様。
そして難易度も違う。
神経衰弱のカードをめくるような感覚で店員の顔をチェックする。

真っ当に考えれば中央のレジに並ぶのが正解だ。間違いない。

ただ、並んでいる客層も見なければならない。

レジの選択は、店員の力量だけでは決まらない。
客のクセ、買い物カゴの形状、財布の厚み、支払い方法、
こうした要素が複雑に絡み合うことで“回転率”が決まる。

第3節 レジ選びのオッズ計算

時代は、キャッシュレス。現金で会計をするとタイムロスが多い。
つまり、キャッシュレス利用者が多ければ多いほど回転率が上がるのだ。

現金ユーザーが財布を取り出す瞬間の、あのゆっくりとした動作。
小銭入れのチャックを開ける時間。
お札をまっすぐ伸ばす時間。
レシートを丁寧にしまう時間。

全部が“誤差”ではなく“致命的な遅延”になる。

カゴの中身も重要だ。
スキャン数の多さで時間が変わるし、肉や魚を通す場合は、小袋に一度包装する時間がある。
生鮮食品は、他の2倍時間がかかるといっても過言ではない。

また、惣菜もなかなかの強敵だ。
プラのケースは、崩れやすい。清算前のカゴから生産後のカゴに移す際、惣菜の上に野菜を置くような事態が起きると、中身に支障が出る可能性がある。

スキャンそのものは早くても、“移し替えの一瞬”で時間が一気に溶ける。
1.5倍時間がかかるといっていいだろう。
そしてこれらは積み重なり、4倍、5倍とタイムロスが発生するのだ。

するとどうだろう。
もっともオッズの高かった中央の列には、大量の生鮮食品を抱え、チップでパンパンになった財布を握りしめた富豪たちがズラリと並んでいるではないか。

おそらく、中央のディーラーは、富豪たちの信頼が固いに違いない。
こうなっては勝ち目がないだろう。

右端のレジ列に目を向けると、若めの客層でキャッシュレスの匂いがした。
生鮮食品もそれほど見当たらない。

しかし、とんでもないギャンブラーが一人混じっていた。
一人で2台のカートを駆使して四つのカゴにパンパンに生鮮食品が詰まっている。

“今日が決戦の日なんだな…”
その背中が語っていた。
まさに全財産を賭けに来たような迫力がある。

キャッシュレスの可能性はあるが、この量をあの新米ディーラーが捌けるのだろうか。
ディーラーの若さを見て、一世一代の大勝負に来てるに違いない。

隙があればイカサマも厭わず、奪い取ってやると言わんばかりの鋭い目つきだった。

富豪が多く、一人当たりの時間が長そうな、ベテランディーラー
たった一人の大物ギャンブラーと対峙する新米ディーラー

どちらにすればいいのだろうか。

第4節 左端の“歴戦ディーラー”仮説

頭を抱えた僕の耳にシュンッという風を切る音が聞こえた。
音の方向を振り返ると、左端のディーラーがレジ袋を捌く音だった。

レジ袋を扱うスピードは意外とその人の“戦闘力”を如実に表す。
その一音が妙に鋭く、練度の高さを感じさせた。

客層もそこまで若くない。キャッシュレスは少ないだろう。
生鮮食品購入者も一定数いる。

厳しい条件だ。ただ、あの音が僕の思考を加速させる。

だが思い返してみれば、最年長者であることから歴戦の凄腕ディーラーという可能性が出てきた。
耳が遠くて、何度か聞き直す仕草を見せてはいたが、レジで発生する会話なんて、支払い方法とレジ袋の有無くらいだ。

それ以外は、淡々と食品捌きをする時間である。

会話の時間に多少ロスは発生したところで、それ以外の手捌きが異様に早ければ取り返すどころか、追い越す勢いに違いない。

列が長蛇であるが故に、顔ぶれは見えるが実際にスキャンしている様子までは三者とも見ることは難しかった。
見えるのは客層とでディーラーの顔のみ。

行列なので一度並べば、並び直すことは不可能。

ここでの決断は後戻りできない。

第5節 運命の並びと崩れゆく期待

圧倒的プレッシャーの中、左端の列に並んだ。
心臓がざわめく、瞬きも忘れる勢いで並びながら次列のディーラーの様子を伺っていた。

間違ってない。。。間違ってなよな。。。自問自答を繰り返した。

他2列の様子を見るのが怖くて仕方がなかった。

そして少しすると、周りがやけに静かになった。
あまりの緊張にゾーン状態に入ったのかもしれない。

冷や汗と動悸で眩暈がする中、恐る恐る隣を見た。

誰もいなかった。

その景色はあまりにも鮮烈だった。
文字通り、そこには何もなかった。

大勝負のギャンブラーも、富豪集団も奥のサッカー台で満足げな顔で戦利品を詰めていた。

自分だけがまだ“勝負中”である事実を受け入れるのに時間がかかる。

動揺しているとまた、シュッという音が聞こえた。
間近で見るとそれは、大きな予備動作でレジ袋を取り出してる音だった。

その予備動作は“癖の強さ”に近かった。


その後は、震える手でスキャンしていた。

後ろを振り返ってみても、誰も並んでいなかった。

圧倒的敗北・・・

第6節 敗北と決意と、来週のリベンジ

確かな敗北感と、次は負けないという覚悟のもと店を後にした。
来週こそは絶対に勝つ。

僕はギャンブルをしたことがないし、今後もすることはないだろう。

賭けてもいいい、絶対にギャンブルなんてしない。

【あとがき】

気づけば、僕は毎週のようにスーパーで負けている。
レジで並んでいるだけなのに、なぜか人生の縮図みたいな瞬間が訪れる。
本当は淡々と過ぎていく時間のはずなのに、そこに妙な緊張や期待を抱いてしまうのは、僕の「勝負弱さ」と「妙な観察癖」が原因なのかもしれない。

次こそは勝てる気がして、
次こそは当たりの列を見抜ける気がして、
それでも結局、同じ場所で負けてしまう。

でもまあ、それも含めて僕の日常なんだと思う。

あなたにも、なぜか「そこだけ勝てない場所」ってあるだろうか。
もしあったら、今度こっそり教えてほしい。

【読んでくれたあなたに、最後の質問】

あなたが日常の中で「なぜか毎回負けてしまう場所」ってありますか?
それはどんな瞬間で、どんな理由で負けるのでしょう。

あなたの“日常のスロット”の話、もしあれば聞かせてください。

【エンディング】

気づけばまた、どうでもいいことを真面目に書いてしまった。
たぶんこれが癖なんだと思う。
どうってことのない出来事に、少しばかり言葉を与えて、それっぽく整えてみる。
それによって何かが変わるわけでもないし、誰かの役に立つわけでもないかもしれない。
でもまあ、それでいいのだと思っている。

人に話すほどじゃないけど、なんとなく心に残っていることって、誰にでもあると思う。
口に出すには気恥ずかしいし、わざわざ言うほどのことでもない。
でも、なぜか自分の中ではしつこく残っていたりする。
そういう小さな違和感や、おかしな風景や、自分でもうまく説明できない気持ちを、
ブログという形にして、そっと置いておくのが、僕なりの保存方法なんだと思う。

それは、日記とも少し違う。
自分のために書いているようで、どこかに誰かの気配をうっすらと意識していたりもする。
かといって、「読まれたい」と強く思っているわけでもない。
伝えたいのか、ただ置きたいだけなのか、自分でもよくわからないまま書いている。
でも、その曖昧さごと残しておけるのが、ブログの良さなのかもしれない。

読み返してみると、「なんでこんなこと書いたんだっけ?」と自分でも首をひねることがある。
あの時の自分が、どこに向かって書いていたのか、正直わからないこともある。
けれど、どれもその瞬間の自分には、それなりの必然があったんだと思う。
意味のないことを真面目に綴ることでしか、気づけないこともある。
それに、そういう行為だけが拾い上げられる感情も、たしかにある気がする。
そう信じて、今日もキーボードを叩いている。

そもそも、“書く”という行為そのものが、
なにかを整理するためではなく、かき混ぜるためにあるような気がしている。
思い出したくないことがふいに浮かんできたり、
忘れたと思っていた感情に形が与えられてしまったりする。
そういう厄介さも込みで、言葉って面白い。

この文章にも、特にオチはない。
ただ、もし読んでくれた人の中に、何かちょっとだけ引っかかるものがあったなら、それはとても嬉しい。
共感じゃなくていい。納得もしなくていい。
ただ、「なんかわかる気がする」と思ってもらえたなら、それだけで充分だ。
うまく言葉にできない気持ちに、ほんの少し形を与えておくことで、
どこかに浮かんでいた感情が、ふっと着地することもあるかもしれない。

誰にも見られないまま終わる記事があってもいいし、
あとで読み返して「なんだこれ」となる日が来ても、それはそれで悪くない。
すぐ忘れてしまうような話でも、ちゃんと書いておくことで、
たとえ一瞬でも自分の中にあった、という証明にはなるから。

というわけで、この話もそろそろ終わり。
たいしたことは言ってないけど、たいしたことじゃないことを、ちゃんと書いておくのが好きなのだ。
また次回、似たようでちょっとだけ違う話を、きっと書くと思う。
そのときも、なんとなく読みに来てもらえたら、それはもう、とても光栄なことである。

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